藤子・F・不二雄先生没後の評価

1996年(ねん)に藤子(ふじこ)・F・不二雄(ふじお)先生(せんせい)が亡くなっ(なくなっ)てからも、大人気(だいにんき)となっていたドラえもんを、決して(けっして)終ら(おわら)せることはできませんでした。そして、毎年春(まいとしはる)にドラえもん映画(えいが)を上映(じょうえい)するために、藤子(ふじこ)プロによって毎(まい)回舞台(まわりぶたい)を設定(せってい)して制作(せいさく)され続け(つづけ)ました。しかし、そのようにして製作(せいさく)された作品(さくひん)に対(たい)するファンの評価(ひょうか)は、藤子(ふじこ)・F・不二雄(ふじお)先生(せんせい)自信(じしん)が手がけ(てがけ)たものに比べ(くらべ)て、あまり良く(よく)なかったようです。それまでの大長編(だいちょうへん)ドラえもんには、先生(せんせい)の子供(こども)の頃(ころ)からの好奇心(こうきしん)や、「ドラえもん」に対(たい)する独自(どくじ)の考え方(かんがえかた)、子どもたち(こどもたち)への心(こころ)のこもったメッセージが凝縮(ぎょうしゅく)されていました。ところが、その想い(おもい)はもう二度(にど)と作品(さくひん)に込める(こめる)ことはできないので、どんなに優秀(ゆうしゅう)なスタッフが製作(せいさく)しても、それまで以上(いじょう)の作品(さくひん)をつくるのは難しい(むずかしい)ことなのです。たとえば、「南海(なんかい)大冒険(だいぼうけん)」の主題(しゅだい)である、無人島(むじんとう)・宝探し(たからさがし)・マリンアドベンチャーというものは、先生(せんせい)が自ら(みずから)短篇(たんぺん)で幾度も(いくども)扱っ(あつかっ)てきたもので、「ふしぎ風(ふう)使い(つかい)」も短編(たんぺん)の「台風(たいふう)のフー子(こ)」を原案(げんあん)にしていますが、どちらの作品(さくひん)も設定(せってい)が少し(すこし)安易(あんい)な感じ(かんじ)がします。ただ、これらの作品(さくひん)にも、ドラえもんに託し(たくし)た先生(せんせい)の夢(ゆめ)の土台(どだい)が、必ず(かならず)込め(こめ)られているはずです。ドラえもんには、この夢(ゆめ)が込め(こめ)られているからこそ、子供(こども)から大人(おとな)まで何世代(なんせだい)も超え(こえ)て、ドラえもんは愛さ(あいさ)れているのです。そのことに価値(かち)があるのではないでしょうか。そして、2005年(ねん)にリニューアルしたドラえもん映画(えいが)の第(だい)一作目(さくめ)は、原点(げんてん)に戻る(もどる)という意味(いみ)を込め(こめ)て「のび太(のびた)の恐竜(きょうりゅう)2006」になりました。この映画(えいが)は、大筋(おおすじ)のストーリーはほとんど変っ(かわっ)ていませんが、時代(じだい)と供(とも)に進化(しんか)したアニメ技術(ぎじゅつ)を駆使(くし)した、スリルあふれる作品(さくひん)に仕上がっ(しあがっ)ています。もちろん、ドラえもんとその仲間(なかま)たちとの友情(ゆうじょう)や、のび太(のびた)たちの夢(ゆめ)のある冒険(ぼうけん)を通し(とおし)た成長(せいちょう)という、藤子(ふじこ)・F・不二雄(ふじお)先生(せんせい)の守り(まもり)たかったテーマもしっかり盛り込ま(もりこま)れています。今後(こんご)も、ドラえもんを愛(あい)するファンにとって、どのように大長編(だいちょうへん)ドラえもんが展開(てんかい)を見せ(みせ)てくれるか、目(め)が離せ(はなせ)ませんね。

ドラえもん 映画

1996年に藤子・F・不二雄先生が亡くなってからも、大人気となっていたドラえもんを、決して終らせることはできませんでした。

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