藤子・F・不二雄の遺作「のび太のねじ巻き都市冒険記」

藤子(ふじこ)・F・不二雄(ふじお)先生(せんせい)は、「のび太(のびた)のねじ巻き(まき)都市(とし)冒険(ぼうけん)記(き)」を執筆中(しっぴつちゅう)に亡くなら(なくなら)れました。ところが、先生(せんせい)の残し(のこし)ておいたメモ書き(めもがき)によって、藤子(ふじこ)プロがこの作品(さくひん)を完結(かんけつ)させることができたのです。この作品(さくひん)で、のび太(のびた)たちは緑(みどり)いっぱいの小惑星(しょうわくせい)に、ぬいぐるみたちのための楽園(らくえん)をつくるが、「熊(くま)虎(とら)鬼(おに)五郎(ごろう)」が乱入(らんにゅう)することにより、のび太(のびた)たちにピンチが迫る(せまる)というストーリーの展開(てんかい)は、それまでの大長編(だいちょうへん)ドラえもんに共通(きょうつう)しています。ここでのび太(のびた)は、36億(おく)年前(ねんまえ)に地球(ちきゅう)と火星(かせい)に「生物(せいぶつ)の種(たね)」をまいた「種(たね)まく者(もの)」と出会う(であう)ことになります。「種(たね)まく者(もの)」は、人間(にんげん)によって環境(かんきょう)が破壊(はかい)されそうになっている地球(ちきゅう)の未来(みらい)は、のび太(のびた)たちにかかっていると告げ(つげ)ます。そして、のび太(のびた)は、その試練(しれん)に立ち向かう(たちむかう)ことを決め(きめ)、熊(くま)虎(とら)鬼(おに)五郎(ごろう)など恐れ(おそれ)ず、未来(みらい)をつくり上げ(つくりあげ)ていこうとするのです。また、悪人(あくにん)である熊(くま)虎(とら)鬼(おに)五郎(ごろう)にも、良心(りょうしん)があることを知らさ(しらさ)れるのです。この作品(さくひん)を通し(とおし)て感じる(かんじる)ことは、現実(げんじつ)にどのようなことが起こっ(おこっ)たとしても、希望(きぼう)を決して(けっして)捨て(すて)てはいけない、ということではないでしょうか。この作品(さくひん)には、困難(こんなん)が訪れ(おとずれ)たとしても、それに立ち向かっ(たちむかっ)て行き(いき)、これからの未来(みらい)をつくって行っ(いっ)て欲しい(ほしい)、という子供たち(こどもたち)に向け(むけ)た、先生(せんせい)の熱い(あつい)メッセージが込め(こめ)られています。しかし、「種(たね)まく者(もの)」がのび太(のびた)たちに、「ねじ巻き(まき)都市(とし)」の未来(みらい)を託し(たくし)て旅立っ(たびだっ)て行く(いく)場面(ばめん)は、先生(せんせい)が自分(じぶん)の寿命(じゅみょう)が長く(ながく)はないことがわかっていたように感じ(かんじ)られます。それは、定か(さだか)ではないですが、明確(めいかく)なことは、倒れる(たおれる)直前(ちょくぜん)まで、先生(せんせい)はこの作品(さくひん)に命(いのち)を吹き込ん(ふきこん)でいたということです。

ドラえもん 映画

藤子・F・不二雄先生は、「のび太のねじ巻き都市冒険記」を執筆中に亡くなられました。

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