「のび太」は藤子・F・不二雄先生の分身

藤子(ふじこ)・F・不二雄(ふじお)先生(せんせい)は、「ドラえもん」がヒットした理由(りゆう)は、のび太(のびた)が何(なに)をしてもダメなところではないか、と考え(かんがえ)ていたようです。ほとんどの人(ひと)の中(なか)には、いくらか「野比(のび)のび太(のびた)」が隠れ(かくれ)ていると思い(とおもい)ます。「ドラえもん」を読む(よむ)ときに、そういう自分(じぶん)の「のび太(のびた)」の部分(ぶぶん)が重なり(かさなり)、共感(きょうかん)できたことが、ヒットに繋がっ(つながっ)たのではないでしょうか。漫画(まんが)の主人公(しゅじんこう)は、「ヒーロー型(がた)」と、「アンチヒーロー型(がた)」に分かれる(わかれる)と言わ(といわ)れます。のび太(のびた)は、典型的(てんけいてき)な「アンチヒーロー型(がた)」です。ではなぜ、あえてそのような人物(じんぶつ)を連載(れんさい)漫画(まんが)の主人公(しゅじんこう)にしたのでしょうか。その理由(りゆう)のひとつは、のび太(のびた)がダメな人間(にんげん)だからこそ、それを助ける(たすける)ドラえもんのかっこ良(かっこよ)さが引き立つ(ひきたつ)ことです。そして、もうひとつの理由(りゆう)は、藤子(ふじこ)・F・不二雄(ふじお)先生(せんせい)にとって、アンチヒーロー型(がた)のダメ人間(にんげん)のほうが描き(えがき)やすいかったからのようです。なぜかというと、先生(せんせい)自身(じしん)が「野比(のび)のび太(のびた)」そのものだからだそうです。のび太(のびた)はまさに先生(せんせい)の分身(ぶんしん)であり、毎回(まいかい)分身(ぶんしん)に感情(かんじょう)を移し(うつし)て描く(えがく)ことができたのです。先生(せんせい)は、物心(ものごころ)付い(つい)た頃(ころ)から引け目(ひけめ)を感じ(かんじ)ていて、いつも他人(たにん)に迷惑(めいわく)をかけないか心配(しんぱい)していたようです。学校(がっこう)の成績(せいせき)ものび太(のびた)ほどではありませんが、高校(こうこう)時代(じだい)はかなり落ち込ん(おちこん)でいたようです。その時(そのとき)のたった一つ(ひとつ)の救い(すくい)が漫画(まんが)で、大好き(だいすき)な漫画(まんが)を描い(かい)ているうちに、漫画家(まんがか)になっていたのだ、と先生(せんせい)は言います(いいます)。「野比(のび)のび太(のびた)」にも褒める(ほめる)べき点(てん)があります。それは、どんなに挫折(ざせつ)しても、決して(けっして)諦め(あきらめ)ないことです。また、100%ドラえもんに頼る(たよる)のではなく、結局(けっきょく)は自分(じぶん)の力(ちから)で何とか(なんとか)しようとします。自分(じぶん)の弱い(よわい)ところを知っ(しっ)ていても、もっと前(まえ)に進み(すすみ)たい、もっと高い(たかい)ところを目指し(めざし)たい、そんな気持ち(きもち)の持ち主(もちぬし)ののび太(のびた)が、先生(せんせい)は心から(こころから)好き(すき)だったそうです。先生(せんせい)は、いつも自分(じぶん)の分身(ぶんしん)であるのび太(のびた)を見守り(みまもり)励まし(はげまし)ているのです。小悪魔アゲハという雑誌に登場するモデルさんですが、さすがです!モデルもキラキラ!

ドラえもん 映画

藤子・F・不二雄先生は、「ドラえもん」がヒットした理由は、のび太が何をしてもダメなところではないか、と考えていたようです。

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